“どうして私たちは働くのか”
この問いについて即答できる人はほとんどいないと思う。私も「働く=給料をもらう」ということしか考えていなかった。多くの人も、周りが働くから自分も働く。このような社会の常識に流されている。
しかし、最近の副業ブームや転職というように働き方が過去と比べて大きく変わってきている。このような変化から、ふと思いたった。
働くとはどういうことなのか。
そう思い、この記事を書くことにした。
労働という概念が生まれた歴史
働くという言葉の語源は、傍を楽にするとかなんだとか。つまり自分の行動で他の人たちを助けるという意味であった。
しかし世界を見てみると、意外な考え方もある。
古代ギリシャでは、市民たちは思索や芸術の老けるのが理想とされていた。つまり労働というものは奴隷が行うものとされていた。
現代社会のような、働くのってあたりまえだよねというような考え方が生まれたのは、ずいぶん最近な話なのかもしれない。
現在の働くことについて
資本主義が発達してから、働くことはお金を稼ぐ手段として完全に機能化された。
「働く=給料」をもらう、いわゆる等価交換の世界。何かしらの組織に参加し、組織のお手伝いをすることで、対価としてお金をいただく。このような労働の流れが今までのあたりまえだった。
- SNSを通じてお金を稼ぐインフルエンサー
- 好きなところで好きな時間にお金を稼ぐフリーランス
- さまざまな人を勧誘し、取り込むことで稼ぐ宗教法人
今の社会には、組織として働く人や個人で働く人のようなさまざまな方法でお金を稼いでいる人がいる。それらのことから、働くという意味は明らかに多様化している。
働くことの難しさ
昔までは、とりあえず会社員や公務員になるという選択肢がメインだった。しかし現在は、SNSやテクノロジーの発展により働き方が爆発的に増えた。
- 起業をする人
- フリーランスとして生きる人
- 好きなことで生きていく配信者
どのようなことでも仕事になる可能性がある。つまり、あまりにも自由な世界である。
“自由があるからこその、自由でならなければいけないというようなプレッシャーも存在する。”
だからこそ、働くことに対する自分の軸がないと、周りに流されてしまう。自由になったからこそあまりにも満足に生きていくということが難しくなったと言える。
私にとっての働くということについて
色々考えた結果、今の私の答えはこう。
働く=人生に豊かさを追加すること
例えば、このブログだって、誰かが読んで「なるほど」や「それは違うな」と思ってくれるとする。人に何かしらを与えることができたことは、このブログを書いた私にとって達成感を与える。これこそが、人生における豊かさである。
つまり働くというのは、お金のためでも、誰かのためでも、自分の満足でもいい。
そこに意味があるかどうかで、人生の濃度つまり人生の豊かさは大きく変わってくる。
働くことに対して、何の目的もない人やまだ働くことへの気持ちが決まってない人は無理して働くことはないと思う。無理な労働は、人生から豊かさを奪う。
周りが働くから、働こう。
このような考え方をしないことが豊かな人生の第一歩となる。
最後に:あなたにとって働くとは
ぜひ、この記事を読んでくれたあなたにも聞きたい。
「あなたにとって働くとはなんですか?」
生きている限り、大抵の人は働くといいうことからは逃げられない。社会人になり働いている人、大学や高校に入学しバイトを始める人などのさまざまな人がいる。
働くという問いの対して考えることはどの年代の人にとっても決して無駄ではない。
だからこそ、今のうちに自分なりの意味を見つけることは、すごく重要なことだと思う。もし、働くことに対しての自分の意味を持っている人は、そのまま突き進んでほしい。
コメント